内村は、インディアンとアフリカ人に対するアメリカ人の感情は、極めて強硬で非キリスト教的だと断定します。同時にシナ人の子孫に対する彼らの偏見、嫌悪、反感に至っては、我々異教国にも類をみないほどのものであるとも言います。シナ全土のいたる所に宣教師を送り出して、彼らの子女を孔子の不条理や仏陀の迷信からキリスト教に改宗させようとしている国、その同じ国が、国土の上に一人のシナ人の影の落ちるのをさえ憎んでいると言明します。こんな逆説がかつてこの地上にあったのかと嘆くのです。
これほどまでに嫌いぬく国民に対して宣教師を送る外国伝道とは、そもそも」セルバンテス(Cervantes) の「真の勇気というものは、臆病と無鉄砲との中間にある」という機知から生まれた騎士道なのか、はたまた子どもじみた騎士道なのではないか、とも指摘します。セルバンテスは、騎士道本を読み過ぎて妄想にとらわれ、古ぼけた甲胄に身を固め、やせ馬ロシナンテ(Rocinante)に跨って旅に出るドン・キホーテ(Don Quixote)を描きます。その時代錯誤と肉体的脆弱さで、ドン・キホーテは行く先々で嘲笑の的となるという物語です。
内村は、アメリカ人がこれほまでにシナ人を嫌う理由は主として三つあると指摘します。第一はシナ人は貯蓄を全部本国へ持ち帰ってアメリカを貧乏にするからであるというのです。彼らは働きの三分の一を国内で消費し、その残りはすべて本国で安楽と幸福とを贖うために持ち去るではないか、そしてシナ人は持ち去る金額に相当する事業をあとに残していくというのです。黄金はすでに彼らのものに違いないのですが、しかるにこの正直な勤労の人々に対して、その神聖な所有権を拒もうとするアメリカ人は一体なにものなのかと強く迫るのです。「祝福されしクリスチャン」なるアメリカ人は、あざけりの言葉と共に我らを外に蹴り出すのでしょうか。「ああ、復讐の神よ、こんなことが一体あっていいものでしょうか。」と内村は慨嘆するのです。
第二に、シナ人は自国の風俗や習慣を固執するから、キリスト教社会では見苦しいといわれていたようです。「それにシナ人は不潔でまた狡猾だ」と諸君はいう。諸君に次の点をたずねたい。シナ人が市警察へ爆弾を投じたり、白昼アメリカ婦人を襲ったりした例を諸君は今日までにきいたことがあるか。もし、社会の秩序と品位とを保つのが諸君の目的ならば、なぜドイツ人排斥法やイタリア人排斥法をも同時に制定しないのか。なんの反抗もしないあわれなシナ人を、そも何の罪ありとで、かほどまでに迫害するのか。われらの国に滞在するコーカサス人の不正がシナ人のそれと比較考慮されることこそ望ましい。」
第三に低賃金で働くシナ人は、アメリカ人労働者を不利におとしいれると考えられていました。この理由は第一、第二の理由よりもはるかにもっともらしくきこえるようです。これは、アメリカ人労働者を保護するために、シナ人の輸入労力に適用された悪しき「保護政策」がありました。内村は次のようにも言います。
「こんなに従順な、こんなに不平をつぶやかぬ、こんなに勤勉な、そしてこんなに安価な労働者階級を、諸君は世界のどこで見いだすことができるか。彼らをその独自の業種に振り向けて利用せよ。そのことが、ただに諸君のキリスト教の信仰にふさわしいばかりでなく、諸君の財布にとっても有利なことは明白なのだ。諸君と同じ人間を幸福にすることをなぜ拒むのか。律法と福音とを信じる君たちが、なぜ他国人に親切と情とを与えないのか。シナ人排斥法の全体の調子は、非聖書的、非キリスト教的、非福音的、非人道的だということである。不条理といわれる孔子でさえ、これより遙かに善いことを教えているではないか。」
内村はさらに言います。「私はシナ人ではないことを告白せねばならない。この世界最古の国民と人種的に近親関係にあることを決して恥じたことのない私である。孔子と孟子を世界に送り、ヨーロッパ人が夢想もしない数百年も前に、羅針盤と印刷機械とを発明していた彼らである。しかし、広東出のあわれな苦力(クーリー)がアメリカ人から受ける侮辱や虐待のすべて我が身に受けるに及び、私はただただ、クリスチャンの忍耐によって辛うじて頭と心との平静を保っている。彼らはすべて「ジョン公」(John Chinaman)と呼ばれている。ニューヨークの親切な巡査までが我々をその名で呼ぶのである。」
(注:内村鑑三の原著にある「シナ人」という用語はそのまま引用します。)